人形町は路地が沢山(・ω・) ビブグルマンの店「いわ瀬」
こんばんは、水天宮・人形町に出没するようになって15年のフルートパパです。
会社がその辺にあるもので(^^;)
昨日の呑み会で行ったお店は特色のあるお店でしたねぇ。
人形町の交差点から水天宮に向かって歩き、ねぎま鍋で有名な「よし梅」の前の路地を突き抜けて、これまた路地にある「いわ瀬」さん。
古い民家の外観。和服を着たお姐さん(女将さん(・o・))が出迎えてくれて、その後も料理の説明をしてくれました。
こじんまりとした店内は木が多く趣があって、時代が感じられます。
お店に入ったのは6時。まだ、他の席は空いてます。
お姐さんが、
「限定のお酒がありますよ。ノーベル賞の晩餐会で出された日本酒なんです。まだ、時間が早いから、今のうちに」
(^_^)はい、仰せのままに。ちゃんと札が付いてるのが笑える(^^;)
スッキリしてて飲みやすい、爽やかな結構なお味でございました。
私は一口だけ頂きましたが、飲み過ぎに注意ですねぇ、この手のお酒は(^^;)
出てくる料理一つずつが、一手間掛けてて珍しいものばかりで楽しい。
味ももちろんGoodです(^_^)
で、席の周りを見回したら花が目に入って良く見たら、、、
(・o・)
このお店、ミシュランのビブグルマンに載ってるようです(・o・)
そうなんだぁ。ビブグルマンのお店に来たの二軒目です。
全部の料理を撮ってたわけじゃ無かったんですが、
これは、牛ほほかな?の赤ワイン煮込み。ソースがすごく濃厚。
少し甘みと酸っぱさがある。バルサミコ入ってるかな?
肉がホロホロ崩れる感じって、こういうのを言うのね。
っていうか、料理が和風じゃ無くてビックリ。立派なものです。
この料理の前は、こんがり揚がった鮎。こんな色の鮎見たこと無い、って感じでした。
お姐さんが、「歯の丈夫な方は頭から全部召し上がれますよ。」
店の人に言われるとつい頑張っちゃうフルートパパは、顎がめっさ疲れたけど完食(^_^)/~
それなのに、他の連中はお上品に背骨取って、身だけ食べたりして。
なんてこった。お姐さんが、もう宜しいですか?って念押ししてお皿を下げていきました。不調法者どもですみませんm(_ _)mって気持ちになっちゃいました。
ん~ん、まんまの色なんだけど、よく分からないですね(^^;)
かき揚げは薄めだけど、油っぽく無くて軽く食べられてGoodです。
締めのうどんは普通だとお椀に一口、って感じが多いけど、こちらのうどんはしっかり量があってビックリさせられました。
デザートのコーヒーアイスクリームは甘くなくて大人の味でお口さっぱり。
いやぁ~、お腹いっぱいで堪能致しました。フルートパパには多すぎかも(゚o゚;;
お店を出る時には、お姐さんがお見送りしてくれました。ありがとうございました。
人形町にお出での節は候補に挙げてみるといいかも(^_^)「いわ瀬」さんでした。
高校入学。新しいページをめくりましょう(^O^) フルートのレッスンはヤマハから
みなさん、こんばんは。フルートパパです。
さぁ、いよいよ始まりました。私のフルート歴が(^O^)
新しいページをめくりましょう。
フルート暦元年4月
私がレッスンを受けることにしたのは、渋谷の道玄坂上にあったヤマハ渋谷店の上の方にある、ヤマハ音楽教室。
フルートのグループレッスンの教室でした。
レッスンは水曜か木曜の夕方で、たしか数名の生徒さんのほとんどがOLさんだったと記憶しています。
そんな中に、紅顔の美少年(?(^^;))が混じっていたわけでありまして。
そんな環境の中でも、フルートパパ少年は一心不乱にレッスンに向き合っていたのでした\(^_^)/
そのグループレッスンは、とてもラッキーなことがありました。それは。
最近のヤマハがやってる「大人の音楽教室」とかだと、みんなの知ってるポップなメロディーを吹けるようにするという教材が多いように思うのですが、そのレッスンの教材は、なんと「アルテ」第1巻。日本フルート協会刊のやつだったのです。
そう、わかる人にはわかる、王道中の王道の教材でした。
なんとなくフルート吹いてみようかな、って人にとってはえらく歯応えがある。
相当進まないと面白くならない。ハッキリ言って(・ω・)
と言うことで、グループレッスンのメンバーは一人減り二人減りと、結局私だけになっちゃいました。何月だったか思い出せません(^^;)
先生から、「フルートパパ君、君しかいなくなったんで、このクラスは無くなることになっちゃったんだよね。で、うちに個人レッスン受けに来ない?」(^^♪
だって(・o・)
つづく。
人という字は、、、
こんばんは。flute-papa です。
今日見た情報番組の話。ガッテンね(^^ゞ
筋肉&血管を強くする!将来寝たきりにならないようにするには、、、
テーマへのもって行き方は、多少無理があるかなと思ったりするけど(・ω・)
人間の体がもともと備えている免疫力を落とさない努力が肝心だと言うこと。
たとえ、酒もタバコもやらずに運動もちゃんとしてます(^O^) というような健康的な生活をしていても、孤独であることはそのプラスを打ち消して、マイナスにしてしまうという恐ろしい力を持っているのだそうですよ。
ここで言う孤独は、社会との接触を持たない生活の意味。
他者との接触を持たないでいることが、免疫力の低下に繋がるなんて。
一人でいる方がストレスが無くていい!ストレスが無いのは体に良い!
なんて、全く逆の話しと言うことですね(・o・)
ただし、二人(例えば夫婦?)でいることが必ず健康に良い!と言ってるわけでは無いけれど(^^ゞ
出来るだけ多くの人との関わりを持ち続けることが大切だと言うことだそうですよ。
これは日本特有の話と言うことではなく、世界的にも問題のようです。
今日のTV番組では触れてなかったけど、先日私がWEBで見かけた資料では、日本人の孤独の度合いの数字は先進国の中ではダントツの数字でした(゜o゜;;
人という字は、互いが支え合って出来ている字。
この字を作った人はわかっていたんですね。
人間は一人では生きていけないってことを。
私も心を入れ替えて、人との繋がりを多くしなければ!(・o・)
とは、思ってますけどね(^^ゞ
では、また。
フルートのアンブシュアのこと
こんばんは、flute-papa です。
管楽器奏者にとって、その楽器にとってのよりよいアンブシュアを手に入れることは永遠のテーマですよね。少なくとも私にとっては。
ですから、よりよいアンブシュアを求めていろいろ試してます。
あくなき探究心?(^^;)
っていうか、自分が良いアンブシュアをGETしてないから、変えることに抵抗はないのでありますよ。
今、自分が求めてる方向性(理想(^O^))は、「エマニュエル・パユ」の吹き方かなぁ~
TVで見るとほんと、スゴいと思いますね。
笛を吹くぞ!っていう口に全くなってない。
緊張せずに口を軽く閉じてるだけ。アパチュアもほとんど見えない。
そこに、楽器を軽く触れているだけ。
ただ、それだけ。
フルート奏者がすべからく、パユのようなアンブシュアで吹いているわけではありません。十人十色、百人百色です。
唇の形、顎の骨、歯並び等々、フルート吹きはそれぞれ違うものをもっているのですからね。
でも自分は、あのアンブシュアに近づけられたらいいなぁ、と本気で思ってるところです。決してそれがフルートを吹くことの全てでは無いのは重々承知してますが(^^♪
実は私が師事した2番目の先生は、フライブルクで「オーレル・ニコレ」のクラスにいたそうです(証明書を見せてもらったわけじゃ無いので私自身は断言できません(^^ゞ)。
なので、私は多分ニコレの孫弟子なのでありますよ。
で、2番目の先生曰く、
「自分はニコレほど指がまわらないけど、フィンガリングはあんなにバタバタしないから静かだよ。」確かに静かでした(・_・)
パユはニコレに師事してましたね。
そう、パユはニコレ仕込みのフィンガリングですね。映像で見るとスゴいね。
賑やかそう(・_・)
私が敬愛する「Sir.J.ゴールウェイ」が公開レッスンでいつも言ってたけど、
「Don't hit keys !!」 と言うことですな(^^ゞ
ということで、アンブシュアはパユを目指し、フィンガリングは出来るだけ静かに出来るようになりたいと思ってます(^O^)未だに出来ないけど(・ω・)
マイフルートを手にして
こんばんは(^^)
都立高校に合格して、念願のマイフルートを手にした私ですが、次に決めていた事がありました。
それは、フルートを最初から習う事。
時間を少し巻き戻します。
私は中学2年の途中から吹奏楽部に入ったのですが、その時に希望していたのがトロンボーンでした。
当時アメリカではやっていたブラスロックのバンド、「Chicago」のライブ映像をテレビ放送を見て、「flute-papa」少年は衝撃を受けたわけであります。
と言う事で吹奏楽部に突然入部したのですが、これが顧問の先生には渡りに船だったのでした。トロンボーンパートに2年生がいなかった(・_・)
3年生はもうすぐコンクール(季節は秋10月)で、卒部しちゃうところでした。
甚だ中途半端な時期に入部したわけです。
そして、あてがわれたのは楽器庫の奥から引っ張り出してきた、どえらくオンボロなケースに入った、ラッカーは全くないNikkanのテナートロンボーンでした。
でも、初めての楽器に心躍り、掃除セットを買い込みたらいにお湯張って洗剤入れて楽器を入浴させ、煙突掃除するみたいなフレキシブルブラシでスライドの内側をゴシゴシ。
風呂から上がったら、コンパウンドでゴシゴシ。
その当時は、磨いても磨いても、しばらくすると又さびてきて汚くなる事が理解できませんでした。そんな事は誰も教えてくれなかったからね(^^;)
きっと、管体は薄くなっていた事でしょう(*_*)
あ、(^^ゞ何が言いたかったのかというと、
トロンボーンをまともに教えてもらう事なく、ほぼ独学で3年の秋まで何とかかんとか吹いて、コンクールも都大会まで行くことができました。
その年は東京都大会を「普門館」で開催された記念すべき最初の年でした(^○^)
でも、コンクールの場で他の学校の音を聞いて愕然。自分の音と全く違う。
ちゃんと教えてもらえなかった事が心に引っ掛かっりました。
そもそも、1年しか吹いてなかったんだから吹けるわけないのですが(^^;)
高校生になったら楽器をちゃんと教わってやってみたい。そうだ、フルートだ(・o・)
ここでなぜか、トロンボーンを一からやり直そうとは思わずに、フルートに心が奪われちゃったんだなぁ、これが。前回書いたように、ミーハーなのでありました(^_-)
それをふまえて、、、、つづく
自分のフルート史 って、だんだん記憶が遠くなってきて、作り話が増えそうな気もする(^^ゞ
こんばんは。
って、いつも「こんばんは。」の時間から書き始めるからですけど(^^ゞ
昔書いたブログ(13年前)との整合性がとれてないといけないけど、多少の誤差はお許し頂きたく<(_ _)>
自分、高校生になったらフルート吹きたい!だから買って下さいと父親にねだったのでありますよ。
「わかった、わかった。こうたる、こうたる。」とは簡単にはいかないんですなこれが。当時の我が家の事情としてはですな。
「都立高校に入学したら、こうたる。」てなわけで、父親と握ったわけでありますよ。
これにはおまけが付いてて、実は都立高校にしか入学願書出しませんでした。
担任の先生に、「滑り止め受けなくても、大丈夫!」って言われたかどうか覚えてないけどね。クラスメートに都立一本という人がいたせいもあって、じゃ、俺も!てなもんですな(^^ゞ受験料がいらないから親孝行だぁ!と、まぁ、軽いこと(゜Д゜)
冷静に考えると、そこまですることは無かったのにね。
もしも、万が一の事があったら、、、((((;゜Д゜)))))))ですよ。
自分が親ならそんなことは絶対に許しませんね(・ω・)
私の子供は二人とも都立高に行きましたが、もちろん滑り止めは受けさせました(^O^)
でもまぁなんとか計画通りに都立高校に合格することが出来て、約束通り「マイフルート」をGET出来たわけであります。
YAMAHAのYFL?? 型番忘れた(^^ゞ ヘッドジョイントが銀で、胴体が洋白のモデルでした。
担任の先生は吹奏楽部の顧問でした。先生から楽器を渡されて感動しましたね。
サービスでつけてくれたカバーがちょっとキツかったのを覚えてます。YAMAHA純正のカバーではなかったからなんだよね。
YAMAHAのケースってちょっと太めなんだよね(^^ゞ
のちに、muramatsu のケース見て、えらくスマートだな(・o・)と思ったもんです。
To be continued
日本の進むべき道
こんばんは。
昨日、IT会社の顧客向けのイベントがあったので東京タワーのそばに行って来ました。
このイベントは毎年この時期に行われているもので、いろんな分野のセミナーがあるんだけど、今年は元内閣総理大臣の「小泉純一郎」氏の講演があると言うのでそれだけを聞きに行ってきました。
元、ではありますが、総理大臣を直に見てみたいと思ったから(^^ゞただのミーハー。
しかし、ネームヴァリューあるよね~、1500人入る会場がぎっしりでしたよ(・o・)
講演のお題は「日本の進むべき道」。
想像はしてたけど、脱原発が話しの骨格でした。やっぱりね。
あちこちで言ってるもんね。
さて、壇上に上がってきたその姿はまさしく、小泉純一郎その人。
お~、テレビで見たまんまだぁ。歳とらないなぁ~。
ただ、話し始めはなんとなくテンションが低くて、声も聞き取れない部分があったりして、小泉純一郎も歳とったのかなぁ、って思っちゃった。
正直言って、前半はよく分かんないまま進んでいったみたい(-。_)。。o〇
でも、後半は現役の頃を彷彿とさせるような身振り手振りも入り、声も張ってきて面白くなった。
日本人は切り替えが素早いという話しはごもっとも。
幕末の開国に対して、まかり成らん!尊皇攘夷だ!と言ってた明治維新の立役者達は、幕府を倒した途端に、欧米列強と手を組んであっという間に開国しちゃった。
太平洋戦争にしたって、一般市民にまで多数の犠牲者を出すことになった、日本各地の爆撃、特に東京大空襲。ならびに広島・長崎への原爆投下。
明らかに戦争犯罪だろ!の、にっくきメリケンに降伏したけど、さっと切り替えて、戦後の経済復興はメリケン無しにはあり得なかった。
小泉さん、ご自身も現役時代は「原発推進」だったけど、東日本大震災の後は「原発廃止」になっちゃったし、と自分で言ってた(・_・)
お話の中身については、納得しきれない部分はあったけど、
ベートーヴェンの運命のコーダのように、クレッシェンド、アッチェしていく感じは聴衆を引き込んでいくね。
講演は1時間半にわたるものだったけど、立ったままで話切っちゃうんだから大したもんですな。76歳くらいだっけな?
こんど自分がプレゼンする時に行かせる部分があると、、、どうかな(^^;)